2017年9月15日金曜日

雨と木曜日(144)

2017.9.14.


木曜日更新のエッセイ(一日遅れ)。
今回は、映画「はじまりのうた」〜『莊子』における「遊」の思想〜もしヨーロッパに生まれたら?



映画「はじまりのうた」をDVDで観た。キーラ・ナイトレイが主演。クールでにこやか、ちょっと突き放したようなところのある雰囲気に惹かれる。J.オースティンの小説『エマ』には、ナイトリー氏という人物が出てくるが、スペルは同じで knightley だった。

『莊子』を読んでいる。「遊」の思想から始まり、『遊戯哲学博物誌』の思想に通じていた。もっと早く読めばよかったかな?原文でも「遊」という漢字であり、内篇にはけっこうな頻度で出てくる。自由自在な境地を示す。


たわいもない話だが、ヨーロッパに生まれていたら…?と思うことがある。小説でも思想でも文学作品を読んでいて感じるのは、西欧的な思考への共感。思考というより、もっと基盤にある感性か。社会のベースもちがうはずだから、向こうに生まれていたらこんな異邦人のような思いをせずに済んだのか、とも思う。が、結局のところ、日本に生まれてよかったと思うのは、根っこにある感性とは異質の文化のなかにいられたから。自分の「故郷」であるヨーロッパの外に立てたから。ちなみに、日本文学でも万葉集と俳句はぼくはとても好きで、西洋人の書く「俳句論」は的を射たものを読んだことがない。二重の世界を生きられた喜びはここにある。