2017年5月10日水曜日

ソロー『歩く』ーー野生のなかで生きることを見出す。


ヘンリー・D・ソロー(1817-1862)は、アメリカの思想家。マサチューセッツ州のコンコードという地域に生まれ、生涯のほとんどをそこで過ごす。近くの森に小屋を建てて2年生活し、その記録と省察を記した『森の生活』は代表作になっている。自然を尊重し、質実剛健な思想を発表していた。


『歩く』(原題:Walking)はユニークな本で、散歩することと野生を貴ぶことをテーマにしている。講演(ソローは測量士をしていたが、講演と作家業で生計を立てたかった)に加筆して本としたもの。

冒頭にソローの別の著作や手紙の言葉が引用されている。

「私は今を生きています。過去は記憶し、未来は予期するだけです。生きることを愛しています。」

「私が森で暮らすことにしたのは、慎重に生きたいと願ったからである。人生の根本的なことだけに向き合うことを望んだからである。…略… 私は人生と呼べないようなものを生きたいとは思わなかった。」

「見ることができるまで、長い時間見なければならない。」

「自分の内部に生活の根を下ろさなくてはならない。」


本文に入ると、冒頭、野生と文明を対比させた一節に出会う。ソローは、『野生の思考』を記したレヴィ・ストロースのように知性で「野生」を語らない。

私は「自然」のために、つまり絶対的な自由と野生のために、お話したいと思います。それは単なる市民的な自由、市民的な教養とは対照的なものとしてであり、社会の一員であるよりむしろ、「自然」の住人、その一部として人間を考えるためです。

そして、テーマの「歩く」ことへ。

私は人生において「歩く」とか「散歩」の術を理解している人にはほんのひとりかふたりしか出会ったことがありません。こういう人はいわばさすらうsauntering才能をもっているのでした。
一日に少なくとも四時間、ふつうは四時間以上、森を通り丘や草原を越え、世間の約束ごとから完全に解放されて歩きまわることなしには、自分の健康と精神を保つことができない、と私は思っています。

かなり強烈な宣言だが、ソローは世捨て人や社会を軽視する浮き世離れした人間ではなかった。彼は不当な税の支払いを拒否して自ら進んで投獄されたこともあり(一日で出ることになるが)、彼の説いた市民的不服従はインドのガンディーやアメリカのキング牧師に読まれ、引き継がれた。

また、ソローはある種の文学を愛した。森の小屋では、ホメロスを枕頭の書としていた。

文学において私たちを惹きつけるのは野性的なるものだけです。作品のつまらなさは飼い慣らされていることに他なりません。…略… 真によい本は、「西」の大草原や「東」の密林の中で発見される野生の花のように、自然で読者の意表をつく、たとえようもなく魅力的で純粋なものです。天性というのは暗闇を見えるようにする光であり、稲妻に似ています。それは知識の殿堂をすら、おそらく粉砕するでしょう。

美しい一段落。「天性」「知識の殿堂をすら」「粉砕する」。「知」よりも「野生」をとった思想家が、ソローのほかに西洋思想史にいただろうか。


訳者のうまい作り方もあって、素敵な本です。読んでいてわくわくし、元気が湧き、心情がシンプルになり、自然のなかへ出て行きたくなります。

『歩く』、ソロー、山口晃訳・解説、ポプラ社、2013