2016年7月23日土曜日

知的なねじれ

知的なねじれ、という言葉を思いついた。知識が増し、学んだことが増えるほど、かえってものごとがわからなくなり、立ち止まる回数が増えるような状態のこと。これが哲学のきっかけにもなり、思索の始まりにもあると思う。


僕は知的なねじれをもつひとに共感する。どこかにある「答え」をぽんともらいたい、と考えるのは、知的にねじれる前の段階だ。講座や本で手に入る「答え」なんてない。だが、そもそも哲学や思索をすることがよいことなのか、よくわからない。