アランは「文学的・哲学的」、ヒルティは「宗教的・道徳的」、それに対してラッセルは「人はみな周到な努力によって幸福になれる、という信念に基づいて書かれた、合理的・実用主義的(プラグマティック)」な幸福論だという。
それが、岩波文庫の表紙にある「偉大なコモンセンスの人 ラッセル」とも言わしめるのだろうし、僕にとっては通俗的だとも感じられる。ちなみに、出版は1930年であり、当時のベストセラーだという。1929年に始まった世界恐慌の時代だから、不況時に幸福論が求められるのはいまも昔も変わらない。
本書を概観すると、はじめに不幸の要因を挙げて、これを取り除く術を書く。ついで、幸福の肝要な点を述べ、そこから愛情や家族、仕事や気晴らしといった各論を扱っていく。
全体に構成はきっちり考えられているものの、各章は筆の赴くままに書かれた感があり、売れっ子作家風である。
さて、さっそく肝要な点に入ろう。
「幸福の秘訣は、こういうことだ。あなたの興味をできるかぎり幅広くせよ。そして、あなたの興味を惹く人や物に対する反応を敵意あるものではなく、できるかぎり友好的なものにせよ。」
この一段落にエッセンスが凝縮されている。この後も「興味」をいろいろなものにもつことの重要性が第一に語られ、第二に「熱意」をもつことが語られる。
「熱意」というのは、興味深いものにぐっと注意を向けること、そのとき、自分の内部にではなく、外に注意を向けることを指す。なお、ラッセルの「熱意」は、いわゆる「情熱」ではなく、ロマン派風の胸の高鳴りを指してはいない。
これら「興味」と「熱意」の対象は、「トレント公会議」でも「星の生活史」でもよいし、草木、小鳥、地質、農業でもよい。列車で乗客を観察するもよし、旅行で土地や歴史、社会的な学びを得ることでもよい。
あとは各論だが、たとえば、愛情を受けること(与えることではない)は、安心感を育み、困難に際しても自信をもって乗り越えられるひとを作る、と言う。
また、「今日、家族ほど混乱し脱線しているものはない。」とラッセルは言い、9割から99%の親子関係は不幸の源である、と言う。よく言い切るものだと思うが、家族が問題となるのはいまも昔も変わらないようだ。
ついでに、「私心のない興味」という言い方で、いわゆる「気晴らし」をして、中心的な興味のほかに副次的な興味の対象を見つけなさい、と助言しているのも、実用書らしい。
【書誌情報】
『ラッセル幸福論』、安藤貞雄訳、岩波文庫、1991
* ちなみに、「星の生活史」とは星の一生を指すようです。訳語として定着しているのかわかりませんが、星の "Life history" とのこと。(後日、教えてもらいました)。