2016年4月2日土曜日

ボッティチェリ展の感想


上野でボッティチェリ展を観て来られました。師匠のフィリッポ・リッピ、弟子のフィリッピーノ・リッピの作品も楽しみにしていたので、三巨匠の揃い踏みで満足です。

今回、興味深いと感じたのは、題材も描き方も似ている三人の画家が、実は様式においては異なっている、と見えた点でした。

ボッティチェリの師匠に当たるフィリッポ・リッピは、群像を描くようなとき、ひとりひとりの人間を「ブロック」(塊)として画面内に石像を置くように配置している、と感じました。

次いで、ボッティチェリになると、輪郭線が流麗になり、画面の枠内で自由に戯れて踊り出すようなところがあり、「ブロック」は重量感をなくし、動きのある輪郭線になります。これが構図と様式美とを同時に作り出し、華やかなルネサンスの息吹を感じさせるのでは。


今回の展示にもあった「アペレスの誹謗」ですが、左端の女性(「真実」の寓意)では、線の伸びやかさと湾曲によって美しさが生まれ、真ん中の赤い服の女性は、髪の流れや腕の伸びが躍動感を与えています。さらに、こうした線は人物の「ブロック」を超えて画面を自由に行き来し、みごとなダイナミズムの構図を作ってもいます。


こちらはフィリッピーノ・リッピ、ボッティチェリの弟子筋でフィリッポ・リッピの息子ですが、画面全体にくすんだ印象が生まれています。

おそらく、フィリッピーノ・リッピに至って、「光にあふれた空間」としての画面に陰影が持ちこまれたと思うのです。ここでは、原理も「ブロック」から「線」を経て、「色彩の陰影」「その連続的な変化としての画面」へと移っています。(たぶん)。

ボッティチェリでは「線」によって統制され、構成されていた画面が、「色彩」の変化と色に当たる光の加減によって構成されているように思えるのです。

ヴェルフリンの言うバロック様式、光と影の対比の萌芽がここに見られるのではないか,と言うと早すぎるかもしれませんが。。。

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様式の話だけをしてきましたが、個人的にはフィリッポ・リッピの聖母子像と、フィリッピーノ・リッピの聖母子と天使の絵には深く打たれました。前者は厳しいほどの明確さをもち、後者は、画風としてのやさしさを感じさせます。

ボッティチェリの絵も際だって素晴らしかったのですが、それは叙情よりも冷たい美に徹しているところがあるから、かもしれません。小説作品などでもそうですが、ロマン的・叙情的に流れない冷たさには、ときに独特の美しさが伴います。

最後に、雑感ですが、ボッティチェリの絵は線が生命をもつあまり、エルグレコのようなデフォルメ(陰影ではなく、長身の人物像)を連想させました。

*画像は、Wikimedia Commons より。