2016年3月15日火曜日

【ご報告】哲学カフェ@札幌

日時:2016年 3月9日(水) 13-15時
場所:珈琲とお菓子 つぐみ
参加人数:10名
参加費:1000円+ワンドリンク


札幌での「哲学カフェ」は、元祖であるマルク・ソーテの「ソクラテスのカフェ」からコンセプトを引き継ぐものとしては、初めての開催だと思われます。


そのコンセプトは、市民が「テーマ」(幸福、暴力、社会問題など)について、予備知識なしに語り合うというもの。問いかけと吟味を大切にし、主催者は講師をせず、ファシリテーター(調整役)に徹するという趣旨です。


今回は、平日の昼間でしたが、告知ページへは多くのアクセスをいただき、早々に満席となりました。札幌にニーズがあること、哲学への関心の高いひとが多くいることを予想させます。


札幌版のルールを作りました。はじめに短いレジュメを配り、「大切なこと」と「約束事」を共有します。

大切なこと:問いかけ。吟味すること。

約束事:「ひとの話は丁寧に聴く」
「あまり長くしゃべりすぎない」
「ひとの意見を全否定しない」

さて、始まりです。今回のテーマは「Home(故郷、我が家)」。かんたんな自己紹介ののち、ひとりひと言、テーマについて述べてもらいました。

出だしは個人的な回顧が多かったですね。「炭鉱町の長屋」「地方の農村」「にぎやかだった小樽」「時間が止まった福島のひとびとを思う」(これは取材をされた方の話)など。具体的な過去がふり返られるわけです。そんななかで「動物にはHomeがあるのか」という抽象的な問いかけも発せられました。

前半は、これらの体験をもとに感想を出し合うかたちで進みました

「悲しみ。切ない、さみしい」
「いつでも帰れる場所」
「地元に戻って貢献したい」
「なにもなさがよい」
「いつでも戻りたい、あることが幸せ」
「なじみの空間、ただいまと言える場所」
「美化しちゃう」

ほか、「時間」「記憶」への言及もありましたが、定義や理論には発展しませんでした。主催者にとって面白かった逸話のひとつは、「祖母が青森に住んでいた。行った記憶もすでになく、住んだこともないのに、青森のことばを聞くとなつかしさを覚える」という話です。

このあたりまで散発的な意見でしたが、おひとりが「故郷とは、切れない人間関係のある場所ではないか」という「定義づけ」を提起されました。こういう「一般化」をすることは哲学の第一歩です。

しかし、そこから批判、反例、べつの定義づけなどへ発展は見られず、うんうん、とうなずいて終わりました。ここで休憩を挟みます。


休憩後は、主催の木村が「前半では、共感して終わってしまうことが多かった」「吟味はだいぶできたと思う」「問いかけを大切にしましょう。質問を投げかけてみてください」と、趣旨を再確認して開始。

まずは、「動物にはHomeがあるのか」というせっかく出された問いに立ち戻ってみました。すると、「動物にはなわばりに帰りたい思いはあるのか」といった問い、「カラスは夜、同じ木に家族が集まる。ゾウは死んだ仲間の墓参りをする」「鮭は産卵のためにもといた川へ戻ってくる」といった事例が出されました。また、差異の一般化としては、「人間は(ワンルームマンションで孤立した生活を営む、また、移動するといった)Home の選択の自由度が高いが、動物はそうではない」といった考察も出ました。

ここで、後半も半ばを過ぎて、「Homeというテーマだが、故郷と我が家をごっちゃにして論じていないか」という問い、というより素朴な疑問が提起されました。

まさにその通りで、これには主催側からエクスキューズ(弁明)の意味も込めて、「幅広くHomeと括ったが、論じるときは分ける、という方法も考えてみてほしかった。また、哲学は輸入学問の側面があるため、常に翻訳の問題はつきまとう。むしろ、その翻訳の面白さもみてほしい」といった返答をしました。

それから、我が家と故郷のちがい、人間は排他的な国家を作り、移民や難民の問題を起こしてもいる、Homeの定義づけといった話題を行き来しつつ、タイムアップとなりました。

主催側からは、「たとえば、ソクラテスの対話篇『テアイテトス』では、仮説が3つ出されて、3つとも否定されて終わります。このように、ソクラテス流の哲学では、結論が出なくてもよいのです。問いかけ、吟味するプロセスが大事です」と趣旨に立ち返って結びました。

最後に、一回り感想を伺ったところ、

「テーマを掘り下げることは日常にはない」
「疑問が湧くことが楽しい」
「たくさんのひとの話を聞ける機会であり、すごく楽しかった」
「むずかしい」
「Home の日本語訳について考えたい」

といった声をいただきました。


ときに拙く、慣れない司会進行でしたが、みなさま、おつきあいいただき、ありがとうございました。会場である「つぐみ」さんにもお礼を申し上げたいです。

【課題】
今回、試みて気がついたのは、「ひとの話を聞かない」「強く否定する」ことは皆無で、むしろ、礼儀正しく話を聞いて同意を示し、共感して話がそこで終わってしまう、という場合の方が多かったことです。日本人ならではなのか、メンバーのためか、わかりませんが、「うんうん、そうだよね」とうなずいてしまうと、「問いかけ」にも「吟味」にもつながらないのです。このあたり、二回目には慣れも出てきて変わってくることを願っています。方針の伝え方を工夫する必要もありそうですね。

もうひとつ、「定義」「理論作り」「一般化」「反例提示」などの手法については、ゆっくり学んでもらいたいと思います。これも、ヒントの出し方に工夫の余地があるかもしれません。

主宰・文責:木村洋平