2016年2月7日日曜日

吟遊詩人とリュートあれこれ


『吟遊詩人たちの南フランス サンザシの花が愛を語るとき』という本を読んだ。詩人によるエッセイなのだが、これはその書評とも言えない、吟遊詩人とリュートについてのメモだ。

まずは、リュートから。著者のマーウィンは、若い頃、詩人・評論家のエズラ・パウンドの知己を得る。彼のアパートを訪ねると、

「黄色の壁には、リュートが掛けられている。ここは文学の世界。」(p.18-19)

と著者は書く。1950年頃と推測されるので、古楽復興の運動はまだ本格化していない。したがって、リュートもここでは実用的な楽器としてよりもシンボリックな意味合いを帯びていただろう。中世・ルネサンス風の寓意で言えば、「文学」の象徴だったのかもしれない。

また、リュートは19世紀以降、たとえばオスカー・ワイルドによって、文学作品のなかでオリエンタリズムと結びつけられていた。その点、中国・日本の詩の翻訳もしていたパウンドにとって、リュートは東洋(オリエント)を思わせるアイテムだった、との可能性もある。

これがリュートの話。続いて、吟遊詩人について。

「吟遊詩人」を扱う本にはたびたび書かれることだが、南仏で詩が盛んだった10ー12世紀頃、歌い手には「トルバドゥール」と「ジョングルール」というふたつの「職種」があった。トルバドゥールは宮廷詩人であり、詩作する。ジョングルールは身分の低い旅芸人で、放浪して楽器を奏で、歌う。

ところが、トルバドゥールとジョングルールの境は曖昧な面もあったようで、同じ人物があるときはトルバドゥールと呼ばれ、身分を落とすと、ジョングルールと呼ばれもする。

さらに、ややこしくなるが、日本語の「吟遊詩人」には、明らかに「旅」(遊の字)と「詩人」の意味が両方ある。しかし、トルバドゥールもジョングルールもこのふたつを兼ね備えてはいなかった!のである。(トルバドゥールは基本的に、宮廷に定住したため)。

このあたりの概念史のややこしさ(訳語の問題)については、興味ある向きは『珈琲と吟遊詩人』の第二章を参照してほしい。

さて、この本の以下の箇所を読んでいて、このあたりの言葉の面白い曖昧さを思った。

「彼[ウック・デ・サン・シルクという書き手]は、その時代において、ジョングルールーー社会的には、手品師や軽業師や動物使いや娼婦と同格とされていたーーとトルバドゥールの境界線上に身を置くという不安定な立場にあった、旅回りの吟遊詩人の一人だったらしい。」(太字、引用者)(p.123)

つまり、ジョングルールとトルバドゥールの合いの子のような存在として、「旅回りの吟遊詩人」という言葉が使われている。原語に当たろうと思ったが、うまく見つけられなかった。おそらく、Minstrel(ミンストレル)ではないか、と思うが、どうだろう?

ちなみに、本書で「旅回りの吟遊詩人」という言葉は二箇所しか使われておらず、ほかは「吟遊詩人」に当たる言葉はすべて「トルバドゥール」ないし「ジョングルール」と訳されている。

それだけにいっそう、ここで「吟遊詩人」という言葉をあえて使った事情が気になる。結局、「吟遊詩人」は(「トルバドゥール」の訳語として生まれたにもかかわらず)、トルバドゥールともジョングルールともちがう「なにか」を意味する日本語になっている。

そんな浮き彫りになる細部に着目して楽しんだ。

【書誌情報】
『吟遊詩人たちの南フランス』, W.S.マーウィン、北沢格訳、早川書房、2004