哲学者、詩人、随筆家、そうした夢のような浮遊感のある肩書きをもつ、串田孫一さんは冬山を愛する登山家で、150冊を超える著書を残した人物でもある。
『山のパンセ』(僕が持っているのは岩波の自選エッセイ集)は、そんな串田さんの山の生活を記したエッセイ。
山での日常と風景が描かれるなか、「山での行為と思考」と題された思索的なところから引用したい。
「僅かの誤魔化しも許されない、しかも実に大きな自然という舞台に、私は、いやいや追い込まれるのではなくて、自分から出かけて行くこと、これが私の望む試煉だと言っては大袈裟すぎるでしょうか。」
それに続いて、
「直ちに行為を伴わなければ意味を持たないような思考は、思えば山で一つの困難にさしかかった時に、私が自分にまじめに要求するもので、そこでもしも妥協や、いい加減な態度を自分に許したならば、困難を前にして退くか、さもなければ自分をもっと大きな、時には死の危険におとしいれることになるでしょう。」
平地の日常でもそんな風でありたい、と思いながら読み進むと、
「行為と思考とが一緒になったところに、自ずから生れるその緊張は、日ごとの、平凡なように思われる生活の中でも、仕事に向っている気構えの中でも、当然必要なことであって、そのために私は自分の力と技倆との限度をためしてみているのだと考えました。」
そのために、山へゆく、と言う串田孫一さん。1955年、40歳のときの文章でした。
【書誌情報】
『新選 山のパンセ』、串田孫一、岩波文庫、1995