2015年4月20日月曜日

芸術、仕事の作法


「働き方研究家」の西村佳哲さんの本『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』を読むと、多くの「やりがいを感じて働く」ひとたちが登場する。そのなかで、精神障害者福祉施設の「べてるの家」で理事を務める向谷地さんだけ、トーンがちがった。

向谷地さんは「仕事から生きるエネルギーを得ないようにしている」と言う。(本が手元になく、正確な引用ではないが。)向谷地さんの仕事はとても厳しいもので、そこから「生きがい」を得ようとするともたなくなってしまう、だから、仕事以外のことから「生きがい」を得るように割り切っているのだと。そして、それは不自然なことではなく、むしろ、それこそが「自立する」ということなのだ、と向谷地さんは言う。

仕事は仕事で割り切ってなしとげ、べつのことから生きるエネルギーを得ていく、それが自立だという考え。また、向谷地さんはこうも言う。「仕事って本来、人を安心させたり、みんなを幸せにするための作業ですよね。」(ここは正確な引用。)

ここで、ふと僕は思うのだが、「芸術」に類する仕事にも似たことが言えないだろうか。「制作」や「創造的作業」はときに命を削るような消耗を迫る。そこからのみ「生きるエネルギー」を得ようとすれば、どんどん精神的に追い詰められてしまうかもしれない。だから、芸術家や作家にとっても、日々の生活は大切だ。一杯の珈琲をいただく、料理する、散策する、友人と会う、家庭を大切にする、といったことがら。そこである程度、自分を満たすことができて初めて、「自分の満足」と切り分けた形で、「人を安心させたり、みんなを幸せにするため」に制作ができるのだろうか。