2015年3月26日木曜日

【本と珈琲豆】『釜ヶ崎と福音』



大阪の路上生活者が多い地区、釜ヶ崎で仕事をする神父による著作。



初めは、自分の生い立ちを語る。恵まれた家庭で「よい子」と自他共に認められるように育ってきた著者は、キリスト教の神父としてそのままでよいのか、迷いを覚える。そんなとき、釜ヶ崎の路上生活者たちに出会うことで、キリストは貧しいひとを助ける側ではなく、貧しいひとたちのなかにおられるのだ、と気づく。

第二部では、神学的な議論がなされる。おそらくラディカルな思想だろう。神は「高いところから貧しいひとたちのところまで降ってくる」のではなく、そもそもの初めからもっとも低いところにおられる、と述べる。そして、貧しさや不幸はよいものではなく、単純によくないものだ、と言う。だから、たとえば「貧しい者は幸いである」と訳されてきた言葉はまちがいだ。「幸い」の原語が「祝福する、力を与える」というような意味であり、むしろ「神は貧しい者に力を与える」といった訳になるだろう、と述べる。きちんと原典の古代ギリシャ語に遡って解釈し直す。

第三部は短いが、身近なひとを助けることから始めて、社会や政治に参加してゆくこと、連帯することの重要性を述べる。

第一部が、現場の感覚に満ちていてとくに読み応えがある。マザー・テレサの「もっとも貧しい者たちのなかにいるキリストに仕える」という思想にとてもよく似ている、と感じた。

【書誌情報】
『釜ケ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共に』、本田哲郎、岩波書店、2006