2015年3月10日火曜日

共依存について(1)


さて、今回のテーマは、共依存について。ある朝、ぽやぽやと考えていたら、あれこれのアイデアを思いついたので書いてみたい。


ぼくは「共依存」はできるかぎり避けるべきだと思うが、そもそも「共依存」というのはどういう状態をいうのか、考えてみよう。これには、ふたつ迂回して答えようと思う。

その1 ぼくは以前、恩師から「人間関係は、距離感だよ」というシンプルなアドバイスをもらった。そのときは、はっとした部分もあり、簡潔すぎる、と感じた部分もあったが、のちのち、これほどためになるアドバイスはもらったことがないと思う。「遠い」と「近い」、「遠すぎる」と「近すぎる」、このあたりの感覚を意識すると、人間関係のうまくゆく、ゆかないがおおいに変わる。

その2 グレゴリー・ベイトソンの(ぼくの好きな哲学者・文化人類学者)『精神の生態学』という本がある。そこには、面白い知見がいろいろあるが、有名なのは、パプア・ニューギニア(だったか、覚えていない)の親の、子供のあやし方についての分析だ。

その地域でも、親は子供をかわいがるのだが、子供がなついてくると、今度は頬をぱちぱちと叩いたり、かまわなくなり、「冷たい」態度をとる。しかし、子供が少し離れると、かわいがる態度に戻る。そうやって、愛情を表現しつつも常に適度な距離を保っている、とベイトソンは観察した。

ベイトソンはここに、西洋の「エクスタシー文化」(極点の快楽、愛情を求めるような文化。0〜100で言えば、一瞬の100を求める)と対比させて、「プラトーの文化」を見出す。プラトーとは「高原」を意味する言葉であり、0〜100のあいだで言えば、70くらいの高い状態を保ち、維持すること。これを文化人類学を通じて、発見した。

静かな時計(4)に続く。