まず、流動性と「生きる」と言えば、旅のことが浮かぶ。「旅こそが人生」というような生き方のこと。だが、ぼくは「旅」を原理に生きたいのではない。
たとえば、定住して、家族と一緒にいて、同じ土地に住んで、それが行き詰まりをみせたとき、旅が打開してくれる、ということはある。その意味で旅は貴重だが、同じような「打開」は良い本に出会うこと、素晴らしい音楽を聴くこと、新しいひとに出会うこと、などによっても起こる。だから、「流動性」について考えるとき、ことさら旅を特別視しなくてよいように思う。
たしかに、ときどきむやみに旅に出たくなるときはあるが、それは「流動性の爆発」(ないし、散発的な流動性)であって、なんだか持続して流動性を呼び込むことはできないように思えてしまう。
では、移住はどうか。移住は大切に思える。移住は、べつの生活へ移ることで、一時的な「旅」とちがって、生活から生活への移動だ。古い生活から新しい生活へ。それは生そのものに流動性をもたらす、と思う。
旅には、絡み合ってこんがらがった日常の生活から抜け出すこと、こむずかしい内側から「外」へと脱出する、というニュアンスがある。
他方で、移住はまっさらな生活への移りゆきであって、それは「外」への脱出というより、出口から出て次の入口に入ることだ。移住は「日常の生活」に流動性をもたらすが、「日常の生活」の外には出ない。それゆえにかえって、「流動性の持続」を作れる。
こんなところが、旅と移住に関する覚え書き。