2014年12月12日金曜日

またマザーの本より

『マザー・テレサ語る』という本より、印象に残る部分の引用です。

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さて次に、カルカッタの<死を待つ人の家>(ニルマル・ヒリダイ)で、死に行く人々や貧困者たちと一緒にすごしたボランティアの一人、ナイジェルの体験談を聞いてください。

<死を待つ人の家>にはじめてお手伝いに行ったとき、私はそこが好きになれませんでした。人々が苦しんでいるのに、自分が何もしてあげられないと感じたからです。「私はここで何をしているんだろう?」と考えました。
 その後、私はイギリスに戻り、そのときの体験についてシスターの一人と長い時間話しあいました。……(略)……私はたいていだれかのベッドのわきに腰を下ろし、彼らの身体をさすったり、食事をさせたりしていたのです。ときにはお礼を言われたのでしょうが、それほど多くの人から言われたわけではありません。なんといっても、彼らは死にかけていたのですから。すると、シスターは私に、「それで、結局あなたはどうしていたの?」と尋ねました。私は「ただ、そこにいただけです」と答えました。すると彼女はこう言ったのです。「聖ヨハネや聖母マリアは、十字架の根元で何をしていましたか?」

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この話は僕には感動的です。シスターにとってはささやかな日々のことだとしても。僕はクリスチャンではないのですが、トルストイの『要約福音書』やバッハのマタイ受難曲を通じて、十字架の場面については知っています。聖ヨハネも聖母マリアも、「ただ、そこにいた」のです。

ちなみに、<死を待つ人の家>(ニルマル・ヒリダイ)とは、マザーが築いた最初の<家>であり、路上の死にかけた人々、病気の人々を運び込み、お世話をし、死に行くひとを看取る施設です。なかには、回復するひともいます。マザーの団体<神の愛の宣教者会>は世界の100カ国以上にたくさんの<家>をもち、それぞれがハンセン病であったり、エイズ、アルコール中毒、孤児、そういった困難を背負った人々のための施設となっています。

話を戻すと、上のエピソードでは、ふだんから<神の愛の宣教者会>の活動に携わっているのではない、「ボランティア」の立場から語られている点が、一般の日本人とマザーとともに働く人々をつないでくれる接点になっていると思います。ボランティアの悩みを通じて、僕らもマザーたちの活動を理解するきっかけを得られるように思うのです。

【書誌情報】『マザー・テレサ語る』、ルシンダ・ヴァーディ著、猪熊弘子訳、1997、早川書房