2014年12月1日月曜日

マザー・テレサの仕事について

『マザー・テレサ語る』という本には、マザーのほか、彼女とともに働いたブラザー、シスターの言葉が収められています。そのなかには、僕が大変好きなもの、強い印象を受けたもの、学ばされるものがありますが、そのひとつをご紹介したいと思います。

ブラザー・ジェフという<神の愛の宣教者会>(マザーの団体)で重要な役割を担うひとの説明です。

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以下、引用。

私たちの仕事は、貧しい人々のために働いているほかの組織とはかなり違っています。どちらがいいか、ということを言いたいのではありませんーーどちらでも良いことがおこなわれていると思うのですーーしかし、私たち以外の組織では、多くの場合、貧しい人々を貧しくないところへ押し上げるための手助けをすることにもっとも力をそそいでいます。こういうことはやりがいのある努力です。とくに彼らを教育することは。しかし、それは政治的な問題になってきます。<神の愛の宣教者会>が考える「ともに働く貧しい人々」とは、たとえ彼らのために何をしてあげても、相変わらずだれかに何らかの方法で頼らざるをえないような人々のことなのです。私たちは絶えず質問されますーー「その人に魚をあげる代わりに、魚をとる方法を教えてはどうだろうか?」と。それに対する私たちの答えは、「貧しい人々には、釣り竿を持つ力さえないに違いない」ということです。ここに私たちの仕事に対する混乱と批判とがあると、私は思っています。というのも、私たちが考えている貧しい人々と、そのほかの人々が考えている貧しい人々との間には、大きな違いがあるからです。

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マザー・テレサは「貧しい人々のなかでももっとも貧しい人々に仕えよ」(または、「貧しいひとのなかにいるイエスに仕えよ」)という啓示を受けたとされます。その「もっとも貧しい人々」とは、すでに死を待つしかなかったり、学ぶ余力すらないほどの貧困、病気、障害といったものを背負ったひとたちなのです。

だから、この引用箇所では、マザー率いる<神の愛の宣教者会>の仕事が、「教育」ではないことが述べられています。貧しい人々を「貧しくない」ようにするための教育は、彼らの仕事ではなく、またべつの団体や国家の仕事です。それは「やりがい」のある仕事であり、「開発」や「福祉」にもかかわる仕事でしょう。しかし、「もっとも貧しい人々」はそこからもこぼれ落ちてしまうのです。

それゆえ、マザーたちの仕事は、ただもっとも貧しい人々に寄り添うこと、具体的には薬を投与したり、それでも死を迎える人々を看取ったり、葬儀をおこなったり、いっしょに食事をする(「スープキッチン」と呼ばれる炊き出し)ことであったり、ただやさしく腕をさすり、言葉をかけることであったりします。

そこのところが理解されないために、マザーたちの活動は批判にもさらされ、誤解も受けてきました。しかし、ここにこそかえって、ほんとうに「もっとも貧しい人々」のために尽くす、ということを芯に据えているがゆえの、他の団体や政府とのちがいをよく見ることができます。

【書誌情報】『マザー・テレサ語る』、ルシンダ・ヴァーディ編、猪熊弘子訳、早川書房、1997 (引用箇所は、p.113-114)