2014年4月28日月曜日

【俳文】札幌便り(18)

四月一日のエイプリルフールはおもしろい嘘を考えていたら、俳句もできずに二日を迎えた。

剥き出しの四月二日のアスファルト

札幌では雪解けてアスファルトが顔を出す頃。「四月」は季語だが、「二日」はとくべつな日というわけでもない。ただ、「四月二日」のリズムを詠み込みたくなった。

犬ふぐり色に暮れゆく北の空

3月に東京で見た犬ふぐりの可憐な青色を、ここ北国では見上げる。

ふうわりと倒れ伏しけり春の昼

少し疲れて、ふんわりとベッドへ。次の「つちふる」は黄砂のことで、春の季語。

霾(つちふる)やみな手探りでドア求む
白樺のささやか芽吹く上の方

「上の方」の下五は、芭蕉の句「郭公(ほととぎす)声横たふや水の上」を思いながら、浮かべた。

早駆けやナイキが踏める雪の跡
5℃6℃余寒の冷めぬサッポロペツ

「ナイキ」は靴のメーカー。ランナーも増える春。二番目の句はいろいろと変わっているが、全体として調子整う気がしている。

クロッカスやっとこ出ずる小人かな
天竺の座を開かんとクロッカス

  二三寸のクロッカス咲き始め、小人のように淡い。天竺はインドのことだが、「天」をも意味する。なんとなく、開きかけたクロッカスにダンテの『神曲』天国篇のマリア、天使ら居並ぶ様を認めた。

盛り土や春の草花植えるまで
晩春はやさしさひとつ残しけり

大通公園の花壇には、丘のように盛り土がなされているが、まだ花は植えられていない。すぐにパンジーに彩られ、五月にはチューリップが風に揺らぐ。

ブランコのふたつ揺れるや五人の子

道すがら、小さな発見。子供たちもスキーウェアでなく外遊び。

くれないのはつかに見えて山桜
木の芽見ればひとつやふたつでなし

円山公園にて。山桜、急な暖かさで花開く前の姿は、ほんとうにほのかな赤いつぼみであった。木の芽は一斉に芽吹いた。見かければ、すでにひとつふたつでない。

同じとこ飛び跳ねている蛙(かわず)かな
おいしいなオレンジジュース春の闇

蛙は自分の身を笑って。オレンジジュースの酸っぱさが春の暗がりに溶けてゆく。

春なれやあれはこぶしか木蓮か

目の前に「母子像」の彫刻あり、上五は「母子像や」と置くか、迷ったが初心のまま「春なれや」とすこし無造作に置いた。おそらくは白木蓮であった。さあ、春の大風も吹く頃、目に光を宿して晴々した日々を歩もうと思う。

目に光あらばやゆかん春疾風

a音を重ねて。いざ。

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