2014年3月15日土曜日

『巨人たちの俳句:源内から荷風まで』を読む。

ちょっと変わった俳句の本。6人の巨人たちの俳句を紹介する。

小説家の永井荷風(ながいかふう)、社会主義者の堺利彦(さかいとしひこ)、民俗学者の南方熊楠(みなかたくまぐす)、禅僧の物外和尚(もつがいおしょう)、博物学者の平賀源内(ひらがげんない)、歌舞伎役者の二世市川団十郎(いちかわだんじゅうろう)。

この6人だが、みな俳句で有名になった人物ではない。あくまで私的な生活のうちで俳句を詠んだひとびと。彼らの生涯を追いながら、俳句を鑑賞してゆこう……と本書は誘う。

小説家の永井荷風は、山の手のおぼっちゃんだったそう。著者は、彼の膨大な日記資料を読み解いてゆく。文も俳句も、そのまま文学になりそうだ、と言う。

帰途月おぼろなり。道源寺の犬余の跫音をききつけ従ひ来りし故バタとパンとを与ふ。即興の句を得たり。
雨霽(は)れて起きでる犬や春の月

また、著者も好きだという「紙雛や箪笥の上のまどあかり」は、僕も好感をもった。

社会主義者の堺利彦は、日本でも最初期の活動家で、「平民新聞」を刊行している。何度か獄中に入れられ、その最中に、盟友の幸徳秋水を大逆事件で亡くしてもいる。ところで、俳句で面白いのは「平民新聞」に載った竹下夢二のもの。狂句の趣。

 人間僅か五十円程とりたがり
 蝶ひらり花ひらり瓢(ひょう)ぶらり哉
 迷ひ児の家きくころを春の鐘

堺のものとしては、

 元日や先ず叩きわる厚氷

が秀逸と思った。

南方熊楠は省略して、物外和尚。「げんこつ和尚」の名でも通った禅僧である。

 雷神(なるかみ)の力も蚊帳の一重かな
 世の中はひけて治まる鹿の声
 武蔵野ははなればなれに時雨けり
 世の中は三分五厘梅の花
 極楽もこの通りなり盆の月
 水くめば山をうごかす冬の川

蚊帳越しにみる雷の句は、飄逸。「ひけて治まる」は語感がいい、具体的な意味はわからない。「三分五厘」も子細は不明。「水くめば」の句は、冬の川にぴっと映った山だろう。

平賀源内は省略して、二世市川団十郎。冒頭に

 春夏と芽花だちよき柳哉

の句。季語の重なりはよくないと言われるが、「春」「夏」「花」「柳」と四つ。「目鼻立ち」と掛けた言葉遊びも覗かせて、自在な境地を思わせる。蕉門の其角(きかく)を師としていた。

以下は晩年に詠まれたもの。

 物洗ふおとおさまりて天の川
 陽炎や仏ももとはたはこ好
 山伏の畑を通る暑かな
 浦風や千鳥の中に馬の耳
 花に蝶使がきたら起すへし
 しつかさよ畳の上の宝ふね

こうして、この本を読んでみると、6人の職業や人柄が句風に反映されているのがわかってくる。ここではひとりひとりの人生までは紹介できなかったが、挙げた句や人名にご興味があれば、面白く読める本だろう。最後に、著者のあとがきより。

 歴史に残るような大きな仕事をした人物が、どうして晩年まで俳諧・俳句をつくり続けたのだろうか、という興味が、本書を書くきっかけでした。(中略)
 今、六人の巨人たちの俳諧・俳句を読んできて見えてきたことは、この人たちのいわば本業は、荷風の小説、二世団十郎の舞台などを考えても、公的に、社会に向けて提供されるものですが、これに対して、俳諧・俳句は、極めて私的な、ほとんど非社会的なものであるということです。

パブリックな像とはべつに、等身大の個人の営みをもちたい、ということから彼らは俳句を続けたのではないか、と著者は推察しています。なるほど、読み終えて説得力のある跋文です。

【書誌情報】巨人たちの俳句:源内から荷風まで 磯部勝 平凡社新書 2010