2013年8月28日水曜日

【俳文】札幌便り(10)


北海道の七夕は8月7日にやってくる。もっとも、函館は例外で7月7日らしい。商業施設のなかでは笹が飾られて、誰でも短冊をかけられる。子供は思い思いのことを書く。

プリキュアになれますように星祭り

「プリキュア」は日曜日の朝に放映するアニメで、数年来シリーズが続く。女の子に人気のヒーローだ。

ししとうに塩ふりかける涼しさよ

暑い夏に青唐辛子はちょうどよい。オリーブオイルを薄く敷いて、弱火で炒める。塩を振りかけるだけのシンプルな料理。ところで、角川の歳時記をめくると、「青唐辛子」は季語だが、傍題に「ししとう」がない。大辞林によれば、両者は同一のものなのだが……

きたあかり溶けてなくなる暑さかな

反対に、北海道の名物じゃがいも、きたあかりはほっくりとして、煮崩れる。その様はなかなかに暑さを感じさせる。

神官もビールの箱を運びゆく 

盂蘭盆の北海道神宮。人出多くにぎわうなか、白い装束に身を包んだ神官が、黄色いビールの箱を抱えて歩く姿には、滑稽味が混じる。そのまま公園を歩けば、

おにやんま登りたそうな滑り台

悠々と飛行する。近所には、紫陽花も見える。まだ色素を保ってドライフラワーのように枯れてゆく。どこからが枯れていて、どこまでが花として凛とあるのか、見分けがつかない。

紫陽花に秋冷いたる信濃かな (杉田久女)

この句を思い出す。信州の紫陽花は見たことがないが、高地で涼しく乾燥しているのだろう。遠く離れても気候が似通っているものと思う。ここで、栗の句をふたつ。

茶碗蒸しより栗出でてほっとする
一番に落ちてやったぞ青い栗

北海道では茶碗蒸しの底に栗を入れる。旭川でもそうだった。関東では百合根などが入っていたものだが。道端で見つけたきれいな青い栗(まったく変色していない。)は、初秋が落ちていたかのようだ。札幌もここ数年は気候が変わったと聞くが、今年は北の暦に従ったか、8月の後半にはあっという間に秋の気配が深まった。

オムレット黄色く秋の空青し

ししとうの一本辛し処暑の朝

「処暑」は暑さの収まる頃というが、残暑の厳しい日もまだある。ほのかな甘みのあるししとうを食べていて、とても辛い一本に当たった気分は、これが残暑か、と思う日に近い。さて、夜風はすでに肌寒いほどの8月末の札幌、ぶらり出掛けてみる。

月を見に珈琲屋まで歩きけり

2013年8月18日日曜日

ちょっとしたこと


ちょっとしたことを書きたい。ぼくが親しくしていた、中高時代の友人がいる。彼と数年前にお茶をした。桜の時期で、「男ふたりでなにしてるんだろうね。」などと笑い合いながら、ちょっとおしゃれなカフェへゆき、そのあと川沿いの遊歩道を歩いた。ふたりとも、どこか「ふらふら」していた。舞い落ちる花びらのように拠りどころがなかった。

それから2,3年後に、再び渋谷でお茶をした。彼は「いい場所を知っている。」と言って、穴場と言えるような、夕暮れ時のカフェ&バーへぼくを案内した。彼は「留学しようと思っている。」と言った。「MBAを取りに行くんだ。」

そのとき、つきあっている恋人がいたのかどうか、聞いたが、答えを忘れてしまった。ともかく、いまは結婚してふたりでアメリカにいるはずだ。

ぼくが「あれ?」と思ったのは、渋谷で留学の話を切り出した、彼の雰囲気だった。そのとき、彼は「身を固め」ているように見受けられた。結婚していなくても、すでに自分の道を決めていた。そう、彼は「定住」する場所を見つけたのだ。

彼はもう「ふらふら」しない。あの桜の花のようには揺れない。けれども、ぼくはただ「ふらふら」して——もう少しマシな表現があるとすれば、「旅をするような心持ちで生きて」いたいと思う。

もし、ぼくの友達や知り合いが、「定住」することに、あるいは「定住」させようとする周囲の圧力に、疲れたときにぼくを見かけて「あいつはいいよな。ふらふらして。真似したくはないけれど、見ている分には悪くないかもしれない」と思ってくれるなら、そうあってもいい。