2013年3月12日火曜日

「震災忌」という季語を使うこと


3月11日の朝、ある俳人の方が、「東日本大震災の震災忌」というものが遠からず、季語になるだろう、と書いていた。阪神淡路大震災や新潟の大地震もあるから、どの「震災忌」なのか、書き分けるのは難しいが、なんらかの形で、日本の伝統である「季語」というもののうちに、東日本大震災は含まれるにちがいない、と。

俳句に馴染みのないひとは、「震災も季語になるの?」と意外に思うかもしれない。季語と言うと、「春雨」とか「蝉の声」を思い浮かべるだろうか。

もともと、「〜忌」は、俳人として名のある故人を偲んで作られた季語で、たとえば、「芭蕉忌」「糸瓜忌」などがある。芭蕉は、旧暦の十月に亡くなったから、「芭蕉忌」は冬の季語。「糸瓜(へちま)忌」は、「誰だろう?」と思われるかもしれないが、正岡子規だ。「子規忌」「獺祭(だっさい)忌」とも言う。たしか、庭に植わった糸瓜を愛していたのが由来と思う。

そして、近代になって「原爆忌」という季語もできた。「広島忌」「長崎忌」も使う。人物から出来事へ「〜忌」の意味が広がったのである。こうした背景のある俳句だから、「震災忌」ができてもおかしくない。

けれども、「震災忌」という季語をいま作ることは、ほんとうにふさわしいのだろうか。遡れば、そもそも故人を偲ぶ思いから来ている「〜忌」は、それが、歴史的な出来事へ広げられたとしても、いずれにせよ、「終わってしまったこと」に対して思いを馳せるものではないだろうか。

しかし、震災はまったく終わっていない。原発事故は言うに及ばずだ。いまも、避難が続き、仮設住宅に余儀なく住まうひとがあり、東北の仕事は製造業関連がとくに数多く失われた。哀悼が続くなかで、「震災関連死」が絶えない。これらは、けっして「震災の爪痕」ではなく、現在進行形のことがらだ。

だから、歳時記に載せる載せないというような大きな話については、拙速であってほしくない、と考える。だが、震災について、必ずしも俳句が無言であるべき、とは思っていない。

たとえば、気楽に俳句を詠むひと、ただ、五七五のリズムが好きで、季語の勉強にとくに熱心なわけでもないが、ひとと共有して俳句を楽しんでいるひとたちは、使うのもよいと思う。(たとえば、新聞の俳壇。読者の投稿で作る。名の知れた俳人である必要はない。)そこでは、たくさんの人々が、たくさんの故人ひとりひとりに対して、哀悼の意を示すこともできるだろう。

こうした「俳壇の中心」から少し離れたところでは、事情が異なると思う。もともと、俳句は、日本の伝統的な文芸である、という古典的な側面ばかりでなく、昔から庶民に開かれた文化であり、「川柳」のようにも楽しめる、言葉遊びの側面をもっている。たとえば、お茶のメーカーである「伊藤園」は、季語のない五七五で、小学生からご高齢の方まで、素人の俳句大賞を作って、商品に掲載している。これらの「俳句」を、「プロの俳人」の方々がどう思っているかはわからないが、僕は、けっこう好きで、こういう楽しみ方ができるのも俳句の良さだな、と思っている。そういうわけで、それほどむつかしい理屈や伝統技法には頼らずに、ただ、ひとの心をつなげる、コミュニケーションのツールとしての俳句も面白い。

その点、俳句の約束事や伝統などを、とりたてて気に留めない「素人」の方々こそ、些事にとらわれることなく、「震災忌」も含め、新しい季語を詠んでいったらいいのではないかな、と思う。そこには、自らの思いと、心の外にある現実への直面とから、生み出されてゆく言葉を綴る意味が、たしかにあると思う。